呪術は社会のバランスを保つ? 地域に根づいた人々の知恵

夕暮れの森で、しめ縄の巻かれた巨木の前に立つ細本和子

呪術と聞くと、人を呪い殺すおどろおどろしいものを思い浮かべるかもしれません。でも、呪術には、争いを抑えて社会のバランスを保つ働きもあったと考えられています。このページでは、小説に描かれた呪術の村と、世界や日本に残る呪術の姿から、その知恵を考えてみます。

小説『ガダラの豚』に描かれた呪術師の村

作家・劇作家として活躍した中島らもの小説『ガダラの豚』には、驚くほどリアルな「呪術師が住む村」が登場します。主人公はアフリカの呪術を研究する学者で、ケニアの呪術師の村が物語の舞台のひとつになっています。

村はいくつかの集落に分かれていて、それぞれに呪術師が住んでいます。集落どうしでもめごとが起きると、住民は自分の集落の呪術師のもとへ行き、「あいつを呪い殺してくれ」と頼みます。呪術師は呪いをかけた品を渡し、「これをある場所に隠せ」と指示する。依頼主がその通りにすれば、呪術は完了です。

呪いが「抑止力」になるしくみ

ところが、呪いをかけられた人が突然死んで終わり、という話ではありません。

狭い村では、うわさはすぐに広まります。「呪いをかけられたらしい」と知った人は、自分の集落の呪術師に呪いを解いてもらいに行きます。すると呪術師は、「あそこに呪いの品が隠されているから、処分しなさい。そうすれば助かる」と教えてくれます。言われた場所を探すと、本当に呪いの品が見つかる。処分して胸をなでおろし、誰も死なずに済むのです。

どうやら、集落どうしの呪術師はつながっていて、住民のもめごとの情報を共有し、落としどころを見つけて解決している、というからくりがあるようです。

呪いを解いてもらえるとわかっていても、呪われるのは気分のいいものではありません。よその集落ともめれば呪い返されることも知っているので、住民はなるべく争いを起こさないように気をつけて暮らすようになります。呪術師が集落どうしの橋渡しとなり、同時に争いを思いとどまらせる「抑止力」となって、社会のバランスをとっているわけです。

現実の世界にもある呪術師のコミュニティ

ここまでの話は、あくまで小説の中のことです。ただ、『ガダラの豚』は多くの文化人類学や民俗学の資料をもとに書かれており、その描写には現実の呪術の姿が反映されています。

実際、世界には今も呪術師が暮らしの中で役割を果たしている地域があります。フィリピンには呪術師が住むと言われる島があり、薬草などによる治療を求めて人々が訪れるといいます。南米のアンデス地方にも、病気や心の悩みを癒やす伝統的な治療師がいます。呪術師は、医者であり、相談相手であり、共同体のまとめ役でもあるのです。

日本の呪術と「人を呪わば穴二つ」

日本にも「丑の刻参り」という呪術が伝わっています。丑の刻(午前2時ごろ)に、藁人形を神社の木に五寸釘で打ちつけて人を呪うというものです。

そして日本には、「人を呪わば穴二つ」ということわざがあります。人を呪い殺そうとすれば、その報いは必ず自分にも返ってくる。だから墓穴が相手の分と自分の分、2つ必要になる、という意味です。人を呪うことへの戒めとして、昔から語り継がれてきました。

呪術の恐ろしさを語りながら、同時に「呪うな」と戒める。ここにも、呪術が争いを抑える知恵として働いてきた姿が見えます。

私たちは知らないうちに呪術に助けられている

呪術は、ただのオカルト趣味の作り話ではありません。「呪い」という攻撃であり、「癒やし」でもあり、社会で争いが起きないための抑止力でもあったのです。

ふだん呪術のことなど気にせず暮らしている人がほとんどでしょう。でも、「人を呪わば穴二つ」という言葉が胸のどこかにあるからこそ、私たちは人を恨みすぎずに済んでいるのかもしれません。

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