魔術は本当に実在するのか? 歴史と因果関係から考える

絵馬としめ縄の巻かれた御神木の前に立つ細本和子

魔術、魔法、呪い、おまじない。科学の時代になっても、こうしたものは私たちの暮らしから消えていません。魔術は本当に実在するのでしょうか。このページでは、「相関と因果」という考え方と、歴史や文化に残る魔術の姿から、この問いを考えてみます。

魔術とは「理由がわからないのに、つながっているもの」

魔術や魔法とは、関係がありそうに見える(相関がある)けれど、なぜそうなるのか(因果)がはっきりしない不思議なことを起こす技だと言えます。呪術、占い、祈祷などが代表的な「魔術」です。

たとえば占星術は、星の配置や運行と人の運命や性格に関連がある、という考えにもとづいています。昔から関連は語られてきましたが、なぜそうなるのかは明確に説明できません。相関は語られても、因果は説明できない。魔法や呪術、祈祷も同じです。

それでも、洋の東西を問わず、伝統的な社会には必ずと言っていいほど魔術的な風習が残っています。これほど広く、長く続いてきたものを、ただの迷信と切り捨ててよいのでしょうか。

暮らしに溶け込んだ魔術「おまじない」

おまじないは、漢字で「お呪い」と書きます。字を見ればわかるとおり呪術の一種ですが、人を害する「呪い(のろい)」とは違い、暮らしに寄り添った穏やかな呪術です。

恋愛、学業、仕事など、効き目があるとされるおまじないは数えきれません。転んで泣いている子どもをあやす「痛いの痛いの、とんでいけ」も立派なおまじないです。

おまじないは、呪術の儀式を簡単にしたものなので、誰でもでき、広まりやすく、長く後の世に伝わってきました。本当に何の効き目もないのなら、果たして現代まで残り続けたでしょうか。子どもが泣きやむ、気持ちが落ち着く、前向きになれる。少なくとも、人の心に働きかける力があったからこそ、おまじないは生き残ってきたのだと私は思います。

歴史を動かしてきた「呪い」

どれほど占いや霊を否定している人でも、五寸釘を打たれた藁人形を見れば寒気がするはずです。そこには、圧倒的な人の「悪意」が感じられるからでしょう。

古くから、世界中で人は人を呪ってきました。日本の権力者たちが特に恐れたのは、死者の呪い、つまり祟りです。権力争いに敗れて不遇の死を遂げた人の怨霊を恐れ、その魂を鎮めるために神として祀りました。菅原道真が天満宮の天神さまとして祀られているのは、よく知られた例です。

祟りへの恐れは、政治にも影響を与えました。794年に都が長岡京から平安京へ移された背景にも、非業の死を遂げた早良親王の怨霊への恐れがあったと言われています。呪いは、歴史の陰で実際に人を動かしてきたのです。

魔術は、やがて魔術ではなくなるのかもしれない

魔法で空を飛び、呪文ひとつで炎を放つ。誰でも一度は夢見たことがあるでしょう。そんな魔術を使えた人間が歴史上いたかといえば、さまざまな伝承はあっても、いなかった可能性が高いでしょう。

けれど、それは科学技術の発達しだいで実現できるかもしれません。昔の人から見れば、遠くの人と話せる電話も、空を飛ぶ飛行機も、魔法そのものだったはずです。

もしかすると、いつか星と人の運命の関係や、おまじないや呪いの働きが、もっとはっきり説明される日が来るかもしれません。そうして因果が証明されたとき、魔術は魔術でなくなり、「当たり前のこと」の仲間入りをするのです。

まとめ

魔術をどう考えるか

  • 魔術とは、相関はあるのに因果が説明できないもの
  • おまじないは、人の心に働きかける力があったからこそ残ってきた
  • 呪いは、人の心と歴史を実際に動かしてきた
  • 因果が解き明かされたとき、魔術は「当たり前」になる

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